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隋や唐から「遣日使」 


インチキとの宥和は許さない!

 遣隋使や遣唐使よりも、はるかに多かった「遣日使」
 
 親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。) さんのブログで知りました。(http://oyakochoco.blog.fc2.com/blog-entry-1003.html)
 
 『・・・・・・ 小野妹子の遣隋使のときです。こちらから行っただけでなく、随からも裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。

 たとえば、天智天皇八(669)年には2千余人が来ています。天智天皇十(671)年にも2千人来日、という具合です。

 ほかにも、当時新羅は日本に高い関心を抱いていたようで、三十数回も来ています。

 いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回来ているのです。【遣隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かった】のです。

 では彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか。

 ほかでもありません。【日本の文化を摂取するため】に来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。八世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高くなりました。文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。

 鑑真(がんじん)が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名てすが、鑑真がなぜこれほど日本に執着したのか。

 聖徳太子の思想をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。鑑真だけではありません。インド人、ヴェトナム人、ソグド人の僧も日本の仏教を学びに来ています。』

 

 これほど多くの外国人がやって来れば、都に疫病が流行ったのも当然ですね。

 日本へ来ていたのは商人かと思っていました。大事な時期の大事な時間を割いて嘘を教えるとは、なんという罪深さでしょう。日本人を家畜化、奴隷化する目論見で作られた教科書だった?・・・。

 

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