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「大衆」とは 


インチキとの宥和は許さない!

 『アメリカの日本改造計画』から

  INTERVIEW (p.305)
  
 西部先生、「保守思想」でいかに日本を守りますか?



 ・・・ ところが人間というのは間違える可能性があるので、そこでどうしても議論が必要になってくるんですね。かつてのイギリスが議会政治を大事にしたのは、単に民衆の権利はどうとか、そんな民主主義の問題ではないんです。
 人間は歴史感覚をいまの状態で生かさないといけないが、それぞれ間違いやすいので、どこかでお互いに行きすぎているか、足りないかを、議論の中で少しでも確認しなければいけない。ある期間、一定の議論する努力を払って、このあたりで多数決で決めようかというのがデモクラシーなわけです。
 そういう意味で、議会というのは気休めでもなんでもありゃしない、自分たちの歴史感覚を保守するための、それをさらにもう一段階改善するための場としてあるわけです。そしてそれは議会だけではないはずですよ。アカデミズムだって、ジャーナリズムだって、本来そういうもののはずなんです。議論の場がその根本になければいけないんです。
 それを結局のところ、アメリカもソ連も中国も、戦後日本も、全部デモクラシーの名において水に流してしまったんです。民衆の欲、たまさかの欲望、行きがかりの振る舞い、思いつきの意見、それを多数決でもって民主主義などと称して、議論なんかいっさい行われていないんです。議論の封殺を巨大な仕掛けでやっている。これを指して、僕は「大衆社会」とよぶことにしているわけです。
 結論を言うと、「大衆」と言うのは、別に教養と財産がない人のことでも、指導者の演説にうなだれてついていく人々のことでもなく、歴史感覚とは何ぞや、ということを人々との議論のなかで確認する、そういう態度を微塵ももっていない人を「大衆」と呼ぶならば、いまの政治家のみならず、どっかの大学の総長も、どっかの経済団体の長たちも、ほどんどがすべて、いわば大衆のエージェント、代理人にすぎないんです。

 ・・・・・・  

 


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